その日から、平凡な日常と引き換えに、非日常な毎日がやってきた。
7時45分。中学校へ通う空は、朝からバタバタとしていた。
それは、よくありよく見かける朝の光景。
「じゃあ、あたし着替えるから、さっさと外出てくれるかなあ?」
だが、都会に住む、よくある普通の地震対策バッチリ設計の家に住む、ごくごく普通の少女、幾多空は、朝から虫の居所が悪かった。
「えー?イヤだよー!別にいいじゃんっ!!見たって減るもんじゃないんだし!!」
「減るの!!!」
と、言うのも、今空の自室には、変人―……ではなく、民話のお話の本のページから出てきた(らしい)鬼と狼が住みついていて、この朝の忙しい時に、我が儘を言っているからである。
「善。さっさと外出るぞ。困ってるだろ、空が。」
丈夫そうなツノのようなものを生やした少年が言う。
民話の中の鬼で、今は空の兄という事になっている。
善と呼ばれた、茶色い狼のような耳を生やした少年は、少し考えて、やがて何かを思いつくと、小さい子が何かをたくらみ思いついたときのような顔をしてこう言った。
「じゃあ、これでいい?」
その瞬間、光が彼を包み込み、やがて光が消え失せると、そこにはさっきまでの少年はおらず、代わりに、立派な狼がいた。
彼は民話の中の狼である。
「そういう問題じゃないの!!っていうか、ほんとにナニ?!さっさと出てって家に還ってくれないかなァ?!!」
空はかなりイライラとした様子で、一匹の狼と、一人の少年を交互に睨んだ。
「まだ信じてないの?オレ等は民話の世界から来たの!!家なんて無いんだよ〜!!」
狼が、日本語を難なく喋る。
空は頭を抱える。
「ああきっと、あたしに数学を教える時の先生は、こんな風に悩んでいたんだろうな」と、相変わらず内心はとても冷静であった。
ただ、数学を教える時の絶望的な理解力の無さと、今の状況を重ね合わせるところが、何処かずれている気もするが。
「じゃあさっさと本の中に還れ!!二重人格狼と、そこの兄弟気取りしてる鬼!」
空は手をテーブルの上に勢い良く叩き付けると、今度は本棚に目をやった。
そこで、ふと、気がついたことがあった。
――――民話の……、「桃娘」の本が、無い……?
そうなのだ。
いつのまにか、本が跡形もなく消え去っていた。
「だから還れないんだよ。」
その割には、ものすごーーーく嬉しそうな言い方をする狼を、空は蹴り飛ばした。
そして鬼を睨みつけ、出て行けオーラを出す。
「わ、分かったって!だからそう、怒るなよ!!俺はちゃんと着替えてる間、部屋から出とくからっ!!!」
鬼はそそくさと、窓から外へと飛び出した。
「もう二度と帰ってくんじゃないわよ!!!!!」
空は、海が走り去った方向に向かって、イライラを全てぶつける思いでそう叫んだ。
「もう、仕方無いナァ。じゃあ、オレも今だけ外に出とくよ。散歩がてらに…ね。」
狼が、続けて言う。
狼の姿をしていた善は、光を放つと、また元のニンゲンの姿になった。
「さっさと出て行け―…………」
言いかけた空の頬に、何か温かいものが触れる。
狼の―……善の唇が、触れたのだ。
「うんっ、やっぱ空は、超美味いよ!ご馳走様っ!!」
「なっ―……」
空は、熱くなる頬を手で支えながら、言いようのない恥ずかしさに、何も言えなくなっていた。
「オレは空を喰うために、こっちの世界に来たんだ〜。だから、覚悟しておいてよ?」
善は、ぺろりと舌を自らの口の周りに這わせて、まさに「にやり」という表現技法が適切な笑みをこぼした。
そして、海と同じように、また彼も窓から外へと出て行った。
「喰うって―……狼って、肉食だっけ?」
その通りである。
01 -end-
2009/5/14 : 加筆修正